三社祭断固反対!/ガンバ/ジプシーキングス/エリート教育

森首相の「神の国発言」で神道への批判が高まる中、都内最大の「神道行事」である「三社祭」が開催され、参加者に対してこの時期に神道行事に参加する見識が問われている。

なーんて記事は当たり前だけど絶対出ない訳で、17日に書きたかったのはそゆ事なのだが、かなりお叱りのメールを頂いて凹んだ。ぼこぼこに。寄せて上げても修復できないくらい。って元々パット入りなんで本体にあまり影響はないんだが。


ま、浅草神社っつうのは、元々珍しい神社で浅草寺開闢の際の観音像発見に関して、直接日本神話に連ならない3柱が奉られている。今はそれプラス徳川家康様もなんだが、そんな事とは関係なしに、日本に根づく神道って言うのは、基本はこういう形ではないかなぁ。御輿担いでいる人達の大多数は、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」とは空で憶えていても、祝詞の一節を唱える事はないし。



勿論、「総理大臣職」にある者が憲法に抵触するような事を平気で放言するのは、論外だけど、その後の論点がどんどんズレテる気がするんだよね。まったく。つきなみだけど。

「エリート教育」つうかその近辺が話題になってるけど、私の感覚からすれば当たり前っつう気がする。だって群を抜いて頭いい人っているじゃん。あるいは圧倒的に突出した才の輝きを持つ人。私は凡才っつうか月並みなんだけど、そういう人に会うと、単に恐れ入る。つうか、子供の時から恐れ入っていた。

なんか良く判らんのだけれど、無駄な対抗心を起こす人っている。フィールドって言うか立っている高みが違うのに、石礫を投げる人。知や才に対して暴言や暴力で対抗したり、数で圧倒しようとしたりする。「なんでやねん?」って思うのだが、社会に出てさえその図式はあったりするので、精神が弱ちい年少期にこれをやられて、将来っつうか、開花を妨げられたり遅らされた人って随分いたりするんだろうなぁ。もったいないよ、まったく。どんなへろへろの石礫だって当たれば痛い。っつうか、投げられた事だけで傷つく事もある。

この辺の感覚は本題とは少し違うが、ガキの頃にイプセンの「民衆の敵」を読んだ時に「へへぇ」って思ったりした。トリュフォーの映画みたいな年少時代って中々過ごせやしないもんだ。

話しをでかくする気はないけど、子供社会の「いじめ」って単に大人社会の反映みたいな気がする。陰湿さや複雑さが増すのは、全体がソイウ方向に流れてるだけみたいな。最終学歴っつうか職を得るためへの経過として必要な、進学校や塾や予備校や家庭教師に掛けられる銭で、現在はある程度そこまで辿りつける部分がある。そのブロックに居るには能力に欠ける人がそこまで辿り着いて、権力っつうか職位を持ってしまうもんで、「頭のいい人」って言うか「賢い人」に無駄な対抗意識を持って、潰しにかかるみたいな感じ?そして、残念ながら教員様にも、生徒っつうか学生の知や才を感じる力を持つ人が少ない気がする。

話しは変わるけど「ガンバの大冒険」はテレビアニメも作り込まれた内容で面白いのだが、原作の斎藤惇夫さんの三部作「グリックの冒険」「冒険者たち」「ガンバとカワウソの冒険」そして、劇場映画も好きな作品だった。敵役が「悪い人」ってだけじゃ無くて、背景まできっちり描かれる童話って大切だと思うなぁ。脇役もキャラとして深いし。そゆ意味で、現在の問題の根本には「単純勧善懲悪」を広める「水戸黄門」があるのかも知れない←おひっ!

そして、何が「悪」で何が「善」かは、個人の主観と声の大きさと腕力と数の力で決められたりするし。

そいえば、「ジプシーキングス」といえば、昔の「鬼平犯課帳」のテーマソングじゃなかったかなぁ?ちょっと記憶が曖昧だけど。

なんて感じで、じゃまたね。