神道概説

なんか、まったくもって無茶苦茶だなぁ、色んな報道やサイトの記述。

今日の記述の大前提として「昭和史」と「戦争責任」については、オールパスします。日記でちょこちょこ書けるようなもんじゃないんで。

最初に断っておくけど、私は無宗教だ。思想的にっつうか、思想を持てる程の知能は有していないし、過去日記を読んでもらえれば、ある程度指向性は理解頂ける部分はあると思う。心情的には少なくても「右」側ではない事は確かだと思う。

それにしても、ここ数日の「崇皇」「神道」への間違いだらけの認識は如何なものかと思っちまうよね。

無茶な記述の類型は、「しんきろう発言」から引っ張って、「崇皇」「神道」を無理やりっつうか先入観で卑しめる様な記述が多い。尻馬乗りって言うか、誤解を煽る事ばっかりが目立っている。特に放送関係。

こういう時の新聞は、良い悪いは別にしてやたら慎重なんで、さすがに目に余る誤報は少なかったりする。っつうか語句や出典のチェックに引っ掛かってるんだろうなぁ。さすがに。

「右翼右翼」って言葉が耳に飛び込んで来るんだけど、一般の人が感じてしまうのは、街頭宣伝車でガンガン音楽鳴らして走り回ってる印象なんだけろうけど、「民族主義」っていうのは、それだけで表現出来るものでは決してない。好みや同意不同意はあるだろうけど、「民族系」あるいは「憂国」という言葉を、軽軽に括る事は、理解を阻害する事はあっても、プラスにはならないと思う。

神道」って言うのも、なにかマイナスイメージというか、いきなり「皇国史観」と結び付けられているけど、これもまた間違いばっかで呆れる。

現在俗に言う「皇国史観」や「国家神道」は明治維新後に国策として設定されたものであって(天皇家との関連は置いといて)本来の神道祭祀や神道の本質とは一線を画すし、江戸時代の「大日本史」を初めとする歴史観は、儒教と言うか陽明学朱子学の影響が大であることは論をまたないと思う。

ざっぱに要点だけ書くと、日本の神道は基本的に仏教と融合している。具体的に挙げ出すと切りがないんだけど、そもそも神道の根本を為す「日本書紀」の31代用明天皇の即位後の条に「仏の法を信じ、神の道を尊びたまいき」との記述がある。これ以外にも「日本書紀」には、原始祭祀の祭祀者としての天皇家が、統治者として仏教を取り入れ融合させる中で、独自の「戒律」を創製していった過程が読み取れる。

そして、その「戒律」とも言える物が、「日本的」と言われる精神背景となった訳で、それをいきなり全否定するような独断は、何を根拠とするのかわけわかめだったりもする。本地垂迹説による、神仏混淆の状態が、仏教においても神道においても1400年近く続いた、日本の常態であった事を忘れていけない気がするけどなぁ。っつうか悪い事ばっかりみたいに言うなよ。

そもそも、尊皇=神道=右翼=全体主義=戦争賛美という図式は、余りにも短絡的で、6−70年代の「ファッション左翼」でさえ、書かない図式なのに、現在はそれがあたかも正論であるように、おちょうしもんのコメンテーターが口にするのを聴くと、恐ろしくなって鳥肌が立つと言うか、脱力する。

明治4年の太政官布告から1945の敗戦による「神道指令」まで、神道が「国家神道」として国家と一体であった事は歴史的事実ではある。ただその期間でさえ、現実には古来からの祭祀神道は日本に土着し続け、神道から別れ公認された教派神道13派も存在し、必ずしも最高祭祀者としての天皇家とは結びついてはいない。

そんで、「信仰の自由」を大見出しに掲げながら、「尊皇」を掲げる「伊勢神道」さん、あるいは「神社本庁」さんに的外れな侮蔑を投げるのも、如何なものかとは思うし。それも一つの信仰だってば。

宗教はたしかに思想を規定するんだよね。だからこそ、的外れな宗教観を前提に話ししても、わけわかめが増殖して、サルガラッソー海で難破、沈没しちゃいそうでやだなぁ、まったく。周りまで、渦に巻き込んだりしないで、勝手に海の藻くずになってよね。頼むから。

うーん、こういうのは確かに、表現が難しいなぁ。

ま、言いたいことは、言葉をイメージで捉えるんじゃなくて、ちゃんと見た方がいいんじゃないかなって事なんだけど。

それ以前に、「しんきろう」さんがあんな間抜けな発言しなけりゃ、似たり寄ったりの自称評論家や、コメンテーターと言う名のおちょうしものが沸いてでる事もなかったんだけどなぁ。

ひょっとして、これが具体的失業対策?←おひっ!

一昨日も書いたんだけど、「しんきろう発言」が何かに立脚したものだったら、議論に価するんだけど、たんなる「思い付きの失言」をうんぬんしてもなんにも出て来ない気がする。もっと議論する事あると思うんだけどなぁ。ま、政争の道具にはなるね。何も生み出さないとは思うけど。

つうことで、またね。