差別について/壷買わないが干物は買った/藤岡信勝様など

わははははは。←何?

ってそれはともかく、今日も日本は平和だ。偶然昨日書いた内容を証明するような出来事がいっぱい起こってるね、って毎日起こってるんだけど。

まぁ、専門分野ではそれなりの実績を残してるんで飯が食えているんだけど、専門外でおかずっつうか、家まで建てちゃう人が日本の研究者もどきには多い気がする。権威に弱い日本人?集合名詞?ってアレフの人も、壷売る人も、オールバックでどっから見ても堅気に見えない宗教な人も日本国籍なんだけどなぁ。特に差別とか語る時に「日本」とか「日本人」とかを言葉として持ち出すだけで、「論」のあるいは「感」の主観性と薄っぺらな事、そして対立関係を煽る事にしかならない点に留意できない「知」って、情けない。つうかマイナス。個人の意見つうなら、対象も具体的な「個」にしてくれ。一般論にすり替えないでよ。気軽に集合名詞使うな!不愉快だから。ってこれは私のまったくの主観です。って個人の意見の部分は好きなんだけど。

そいや、壷系の機関紙の記事を引用する神経ってちょっとびっくりしたんだけど、過去日記見たら藤岡信勝さんの論文つうか殴り書きも引用してあった。ひゃー、まさに類友?びっくりつうか、「てるみーがつん」はこの人に言ってよね、私じゃなくってっさ。ってもし信者の方だったらごめんなさい。壷は買わないけど、干物くらいは買ってます。お茶も出しました。署名はしてませんが。って雨にずぶ濡れで可哀相だったんだもん、売りに来た人。

藤岡信勝さんの専門は「教育学」なんだよね。って個人的にはこんな論で教育してほしくないけど。それが、何時の間にか昨日挙げたお二人様と並んで、訳判らん文明論っつうか歴史観の大家になってる。「鼻血ブーっ!」を引用して、鼻血を語るっつうの?ちなみに渡部昇一さんは「英米文学」だし。

教授ってのは、それはそれで大したもんだとは思うけど、専門外の権威ってどうなのよ?お茶の生産農家のお父さんは茶道の家元じゃないと思うぞ。当事者であっても猫は猫学の大家じゃないし、って字書けないにゃん。

ちょっと真面目に書くと、この辺がまさに「立証を怠った論」って奴だよね。資料の信頼性を検証するってのはまず絶対に行わなければならないのだけど、同時期に現れた資料記述との対照、記述者の思想背景や行動の検証、記述対象事象の史学的検証無しに論を張るってのは、ほとんど茶番、っつうか雑文。それを、「教授」って肩書きでありがたがって読む読者がいる。もちろん思考に共感を憶えるのは、個人の自由なんだけど、その中で事実とそうでない物を判別する手法は備えた方が、知的生活は楽しくなるような気がする。

あっ!お昼過ぎたじゃん。おでかけなんで、じゃまたね!