原爆許すまじ  長崎・広島から59年@国連憲章作成後に原爆は投下さ

まず、59年前の長崎、そして59年と3日前の広島で犠牲になった皆様、またその日に被爆の惨に会われ、原爆症によって命を亡くされた皆様のご冥福をお祈りし、今も治療をされている皆様、胎内被爆、そしてご両親が被爆されて生まれ原爆症の治療にあたられている皆様にお見舞いを申し上げます。

最近、本当に怒った事がある。

民主党岡田党首の、「国連決議による派兵の容認」だ。

岡田さんは正直言えば、ぼんぼんで、理想主義者で、決して頭が悪い訳でも性格が悪い訳でもないと思う。

だけど、天才肌で、努力の必要なしに今に至っていて、様々な人々の悲しみに想いを及ぼそうとは、きっと思ったことも無いし、その視点で何かを調べたことも「けんきう」したこともないんだなぁ、って真剣に思った。

ちょっと長いけど国連憲章を掲げてみる。

国際連合憲章(前文)
 われら連合国の人民は、
 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から
 将来の世代を救い基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権と
 に関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる
 義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で、社
 会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行 し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持す るためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと
 を原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発
 達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成する
 ために、われらの努力を結集することに決定した。
 よって、われらの各国の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を
 示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章
 同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。

この憲章は1945年(昭和20年)6月26日作成に作成され、そして、その年の8月戦闘員でも無く、戦争を継続する施設を破壊する目的でも無く、原爆は投下され、広島と長崎は、炎に包まれた。

現在、国会に議席を持つ議員の何人が、広島、そして長崎の惨状を、そしてそこで何が起こり、それがその後も人々に何を強いてきたかを、調査し、真剣に学び、それについて考えたのだろうか?

広島大学原爆放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター
http://home.hiroshima-u.ac.jp/kohosha/

長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設『資料収集保存部』
http://www.hibakusha.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/intro-sjis.htm

Atomic Bomb Disease Institute
http://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/index-sjis.html"

もし、本気で、日本という国、そこに暮らす人々、そして暮らした人々を思うのなら、この資料全部には目を通しているはずだと思う。

残念ながら、ほとんど居ないだろうって、確信もあるんだけどね。

もし、お時間に余裕があるときに、みなさんもちょっとずつでいいから、目を通してみて頂ければ、幸いです。

では、また。