経る時/REINCARNATION。そして桜。

谷中の墓地へ行く道沿いにも、もう今年は桜が咲いて、でもまだ若い桜の花達は、強い風の中でも散ることはない。帽子を抑えながら少し先を歩む父の背中は、おんぶされて夢を見たあの頃より随分小さい。合掌する前に、家族で身体を寄せて火を点けるお線香も、今日は二つに折って、短く唱える経文が終わる頃には、煙も絶えた。

あの日私達は、千鳥ヶ淵のホテルにいた。今は居ない祖父の晴れの場で、その年は思わぬ春の遅れに、普段ならもう葉を伸ばしている桜は、僅かばかりの残りの花を、もう青の強くなった空に散らしていた。まだ私は幼く、恋さえ知らなかった。

祖父と祖母と父と母と私は、少し晴れがましい気持を持ったまま、ロビーでお茶を飲んでいた。その時に初めて聞いたのが松任谷由美の「経る時」だった。

「ほうっ」と祖父は声に出して立ち上がり、フロントで曲名を尋ね、その日の帰りに「REINCARNATION」をみんな揃って買いに行った。すこし祖父ははにかんで、私達は少し微笑んだ。そして祖父は往き、祖母が往き、そのレコードだけが残った。

恋があり、別れがあり、闇があり、そして今日がある。
たくさんのものを無くし、たくさんのものを得、そして今年も桜が舞う。
あのホテルはもう今年は無くて、きっとガラス窓越しに見た桜並木だけに花が咲く。

父の右手を支えて下る石畳に、少し雨の粒が落ちる。すこし滑った足元に、左のひじを母が支える。

私はいる。いるだけでもいいじゃないって思った。