指輪物語。そしてゴクリと鈴木宗男せんせ<=何?

ラルフ・バクシ監督は、60年代のカウンターカルチャーを代表するロバート・クラムのファンタジーアナーキーでしかもドラッグとセックスが炸裂するえっちいコミック「フリッツ・ザ・キャット」を劇場アニメ化する事で一発当てた。時に1972年(日本公開は73年。一週間で打ち切りになったけど)。そして大胆にもって言うか無謀にもファンタジーって言葉しか共通点の無いトールキンの「指輪物語」に挑戦したんだよね。

この作品は実写フィルムに絵付けをしてアニメ化する(ロトスコープって技法です)手法が挿入されていて、けっこう私は「うにゃっ」とした普通のアニメに比べると異常に滑らかな動きは好きだったりする。話自体はけっこう原作に忠実なんだけど、途中のエピソードや先へ繋がる伏線をまったくすっ飛ばすは、いくら後編の予定があったとは言え、エンディングは「なんじゃこりゃ?」て感じになっちまった。この作品は「旅の仲間」と「二つの塔」の途中までを前編として作成され、興行成績は今三っつうか滅茶苦茶だったもんで、後編は作成しないまんま、とんずらこいてしまった。時は 1978年。指輪ファンつうかトールキンフリークは脱力しながら怒りをふつふつと湧かせた事は想像に余りある。そして、苦節24年、今回のアカデミーショー有力候補の呼び声も高い、実写版に期待を膨らませているんだよね。

バクシ版指輪物語で、原作よりウエイトが高く描かれていたのはゴクリだ。ゴクリは前段となる童話として出版された「ホビットの冒険」で、なぞなぞ合戦の末、「指輪物語」で活躍するフロドの叔父にあたるビルボに指輪を奪われる、元はホビット族だったとされる化け物っつうか、気の毒な変態っていうか、私が一番ピッタリくる言葉は「亡者」だ。

王の帰還」の巻末「代々の物語(追補編B)」の第三紀,2463年には「この頃,ストゥア族のデアゴル,一つの指輪を見いだし,スメアゴルに殺害される」と書いてあって、このスメアゴルこそが、「亡者」になる前のゴクリだったりする。彼は指輪をはめると姿が見えなくなることを知り、さまざまな悪事を働く。彼は指輪を「いとしいしと」と呼ぶ。そして指輪に魅せられ、魅入られ、支配されてゆく。そして姿も思いも変わり果てる。それでも物語の中には善良なゴクリと指輪の虜となった悪いゴクリが反問する場面がある。

もうじゃ【亡者】
(1)〔仏〕死んだ人。特に,まだ成仏せずに迷っている魂。
(2)金銭や権力などに対する執念にとりつかれている者。「権力の―」(新辞林

TVに写る坂田利夫さんに似た鈴木宗男せんせを見ていると、何だかゴクリを思い出す。「ホビット」の挿絵のゴクリにもどこか似ているし。

なんちて<=おい!

さ、御仕事片付けて早くおうちに帰ろっと。って事でまたね!